透華の秘密 生徒会長のお言葉

 
 
 南N市高校の制服を夕陽で照らしながら、峰影透華は帰路につく。
 この時間の周囲を歩く人々は、本日の勉学から解放されて上機嫌に帰宅する生徒が大半を占めている。
 
「……っ」
 
 しかしそんな中でただひとり、透華の姿勢はどことなく挙動不審だ。注意深く周りの様子を意識しながら、音もなく、比較的人の少ない道へとコソコソと消えていく。
 透華は通常ならばいつもと同じ景色の道を辿るのだが、今日はそこから逸れた道を選択して歩いている。というのも、その先にある書店に用事があるためだ。

 ではその用事とはなんたるや。
 言うまでもない、今日は「マジカル少女ののか 公式ファンブック2」発売日なのだ。

 なにを隠そう、生粋のマジカル少女シリーズファンである透華。当然、関連の商品は購入しておきたいのがファンの性。
 ファンなのだから、ファンブックを買わないわけにはいかない道理。発売日に、自身の弾き出せる最速をもって、聖書ともいえるファンブックを入手するために書店へ直行するのだ。

 さて、このファンブックの購入するにあたって、とある問題が存在する。
 それは単純明快。「恥ずかしい」ということだ。
 「マジカル少女シリーズ」というコンテンツは、世間一般の認識では対象は幼稚園児から小学生……いわゆる女児向けアニメのカテゴリーに分類される。
 周囲の同級生もかつてはこの「マジカル少女シリーズ」を楽しんでいただろう。しかし、その対象年齢の期間中にはすでにそのコンテンツから脱却している。すなわち、皆卒業しているのだ。

 しかしここに、年甲斐もなくマジカル少女を応援する16歳女子高生がひとり。
 面白いものは面白いのだから仕方がないことは確かなのだが、それはそれとして恥ずかしいものは恥ずかしい。

 人通りの少ない書店を選択したのもこれが理由である。いつもの道にも書店はあるが、そこではいかんせん生徒たちとエンカウントする可能性が高いのだ。
 「マジカル少女ののか 公式ファンブック2」などという代物を買う姿を見られたくない透華は、わざわざ遠回りしてでも別の書店を選択する必要があった。
 
「誰も……見てないわよね?」
 
 気付けばもう書店前。
 透華は周囲を横目で執拗に睨みつけ、さらには全身の感覚をフル稼働し、学校の人間の気配がないかを再確認する。
 こういうときはキュマイラ特有の野生の嗅覚が羨ましくなる透華であった。 
 キュマイラ関連でふととある筋骨隆々プロレスエージェントが透華の脳内を走り抜けたが、彼と連動して思い出したくもないゾンビパニックの記憶も引っ付いてきたためキュマイラについては考えることをやめた。
 
「ふ、ふふふ……こんなところを学校の人間に見られるわけにはいかないわね……」
 
 息を整えいざ入店。自動ドアへ近付こうと一歩足を踏み出す。しかし、透華が自動ドアを開ける前に、店内側の人間によって勝手にドアが開いた。
 
「おっと……ってあれ? 透華ではないか。なにやっとるんじゃ店の前で」
 
「ギャーーーッ!」
 
 低身長の童顔に似つかわしくない老人のような古臭い口調。赤みを帯びた短めの黒髪。その前髪の向こう側で無邪気に光る赤い瞳。そしてその身に纏うは南N市高校の制服。
 店内側から出てきたのは、今一番遭遇したくない人物、暁冬乃であった。
 最近透華の学校に転校してきた、紛れもない「学校の人間」だ。
 
「ギャーとはなんじゃ。人の顔を見てその反応は酷かろう」
 
「な、な、なんで、こんなとこにあなたが」
 
「本を買いに来たに決まっておろう。ここ、本屋さんなんじゃから」
 
 書店の名前がプリントされた小さなレジ袋をフリフリと揺らしてみせる冬乃。中には購入した本が入っているのだろう。
 
「ほ、本屋なんて、他にもいくらでもあるでしょう!?」
 
「私が住んどるアパートから見てここが一番近いんじゃ」
 
 そう言いながら、冬乃は透華の後ろの方を指さす。
 その指は、住宅などを数軒を通り越した先にある、こじんまりとしたアパートを指していた。冬乃の住むアパートはここから見える程度には近い場所にあった。
 
「ア、アパートに住んでんだ暁さん……てっきり園寺さんと同居生活でもしてるのかと思ってた」
 
「あ、あんな変態と生活できるわけなかろう! なんて禍々しいことを言うんじゃお前は!」
 
「あの人一応支部長なのにな……」
 
 好いている部下にここまで嫌われた挙句、「禍々しい」などと評される支部長がはたしているだろうか。
 透華はそんな園寺に多少の憐れみを抱いたが、冬乃に対する日々の変態行為を考えると当然だろうと、すぐにその感情は取り消した。
 
「それはそうと、透華はなんの本買いにきたんじゃ?」
 
「ほえ!? えーっと……それは……そ、その……」
 
 突然の質問に言葉を詰まらせる透華。
 いくらでも虚偽の目的をでっちあげることはできるはずなのだが、それを咄嗟に出せるほどの思考の余裕は今の透華にはなかった。
 たとえば「人を落とす恋愛テクニック本」や「料理本」などといった本を買いにきたとなれば違和感はないかもしれない。透華は学生なのだから「参考書」といったものも自然だろう。しかし、今は透華にとっての緊急事態。焦りと錯乱で、これらの簡単な対応例もまともに整理できず、思考がショートし混乱状態。

 汗を滝のように流しながら、動揺で上手く機能しない思考を必死に回転させ、天下のノイマン脳はひとつの回答を叩き出した。
 
「人間を料理する参考書です!」
 
 ここに狂人が誕生した。
 
「……」
 
「え、えっと……」
 
「透華」
 
「は、はい」
 
「あくまでこれは私の持論じゃが。オーヴァードとジャームの間には……もしかしたら大した垣根など存在しないのかも、しれぬな」
 
「なんで今その持論を出したのよ! 私がジャームと同類のいかれ頭だとでも言いたいんですか! 誤解ですっ……誤解なんですよ!」
 
 これがオカルトにのめりこんだ人間の末路か、とでも言いたげな目で透華を見つめる冬乃。そして冬乃の両肩を掴んで必死に言い訳をする透華。
 なんと憐れなことか。境地に立たされた腹黒元オカルト部には、もはや聡明なノイマンの片鱗は残っていなかった。しかも、存在自体がオカルトのようなものである冬乃に変人扱いされるということが、透華にとっては屈辱的であった。
 
「誤解と言われてものう……透華は『学園ぐらし』とか『まどかマドカ』とか、そういうえっぐいアニメ好きじゃろ? 妙に信憑性があるんじゃが」
 
 冬乃の言う「学園ぐらし」や「まどかマドカ」は、残酷な描写と鬱展開に定評のあるアニメとして有名な作品である。余談だが、透華に勧められるがままにこれらのアニメを視聴した一火は、その後三日寝こんだという。
 
「え、えっぐいものそれ自体が好きなんじゃないんですよっ! 単純に内容が面白いから好きなだけなの! 暁さんも見てくださいよ面白いですから!」
 
「勧めてくれるのはありがたいのじゃが……私はそういうアニメはちと得意ではないのう。血とかそういうの、私こわーい、じゃから」
 
「人の血を吸うような人がなに言ってんのよ……」
 
 清純な女子高生を装い、ぶりっ子をかます冬乃。いったいどこでこんな立ち振る舞いを覚えてくるのだろうか。実年齢100歳を超える少女は、着々と女子高生に染まりつつあった。
 
「……それで、暁さんはなにを買いにきたんですか?」
 
 ひと悶着ののち、速やかに話を切り替える透華。透華にとって、この話題をこのまま続けるのはごめんであった。
 
む、私か? ふふふ、私はの〜〜〜」
 
 透華の問いかけに対して、冬乃は待ってましたと言わんばかりに意気揚々とした笑顔を見せた。
 
「驚くな! なんと透華へのプレゼントを買いにきたのじゃ」
 
 そう言いながら冬乃は、胸を張り、手に持っていた小さなレジ袋を誇らしげに掲げた。レジ袋が形づくる商品の形状から見て、本は一冊であろう。
 思いがけない返答に、透華は目を丸くした。
 
「わ、私にプレゼント……?」
 
「うむ! 見ておれ〜」
 
 無邪気にレジ袋の中をゴソゴソと漁る冬乃。そして数秒袋を漁ったあと、その本を引っ張り出した。
 
「じゃーん! 『マジカル少女ののか 公式ファンブック2』じゃ! これを透華にプレゼントしてやろう!」
 
「えっ……いいんですか? や、やったぁ! ありがとうございます!」
 
 眼前に差し出された本を、嬉しそうに受け取る透華。
 
「…………………………………………あれ?」
 
 しかし、本を受け取ってから数秒考えたのちフリーズする。透華の額から一筋の汗が伝い、血の気が一気にひいていく。頭の中が真っ白になり、思考が停止する。
 そう、なにかがおかしいのだ。今の一連のやりとりに、どうしても看過できない点が存在する。

 ──なにがあってもバレてはいけない、透華の最大の秘密。
 
「うん、うん、喜んでくれてなによりじゃ。透華はマジカル少女が大好きじゃからの〜」
 
「ピ゛※ッ◯」
 
「何語じゃそれは」
 
 混乱した脳がわけのわからない呻き声を絞り出すと同時に、透華の体が硬直する。
 
「ど、ど、ど、どうして、それを」
 
 震える口をパクパクと開閉しながら、掠れた声で冬乃に問いかける透華。
 そう、看過できない点というのは、冬乃が透華のマジカル少女好きをすでに知っていたということである。
 当然、透華は他人にこれを教えたことはない。話題に出したこともない。マジカル少女好きの片鱗のさらに片鱗すら残さない立ち振る舞いをしてきたつもりである。
 
 いったいどこから漏れたのか。
 この暁冬乃という女、透華に初めて接触してから大して日も重ねていない。にもかかわらず、親友の佐藤と桜井すら知りえない最大の秘匿情報を入手していた。

 今向けられているこの純粋無垢な冬乃の笑顔は、透華にとってはもはや戦慄と恐怖の象徴でしかない。形容しがたい絶望感に四肢が震えるようであった。
 そして今、眼前の悪魔が口が開いた。
 
「一昨日、げーむせんたーで透華を見かけてのう。UFOきゃっちゃーで『マジカル少女ののか限定たぺすとりー』をとろうと躍起になっとったから。好きなんじゃな、と」
 
「イヤーーーーーッ!」
 
 なんたる失態か。
 たしかに一昨日、透華はゲームセンターでUFOキャッチャーに興じていた。
 ガラスケースの向こうに飾られた神聖なる一枚を手中に収めんとする欲望が脳を支配してしまった。ゆえに、聡明さに定評のあるノイマン脳ですら周囲からの目を考慮するに至らない事態となってしまったのだ。
 透華の顔はすでに、羞恥で沸騰した血液が駆け巡り、真っ赤に染まっていた。
 
「ううううう〜っ!」
 
 透華は頭を抱えた。欲望に溺れた過去の自分にラリアットかましてやりたい気分である。今なら、プロレスエージェント円枝を凌ぐクオリティのラリアットを繰り出せる自信があった。
 よりにもよって、冬乃に知られてしまったことが最悪であった。すでに学校の人気者で数多くの繋がりを持っている冬乃は、学校中にこの情報を漏らす発信源になりうるのだ。仮にいくらここで口止めしても、冬乃が他人に喋らない保証などどこにもない。
 すでに透華は詰み状態であった。
 
「……ふ、ふふ……もう、殺すしか……」
 
 透華の目は、虚空を見つめ据わっていた。
 
あっはは、ツクヨミジョークか。私は死なんというのに。なかなか面白いではないか!」
 
「面白く! ないわっ!」
 
 マジカル少女のファンブックを抱えながら、地団駄を踏む透華。それを意にも介さずケラケラと笑う冬乃。なかなかに酷い絵面が展開されていた。
 子連れの女性が近くを通りかかったが、ふたりを確認するやいなや女性は子の視界を手で覆ぎながらそそくさと通り過ぎていった。
 
「透華はむっつりスケベじゃから、えっちな本と迷ったんじゃ。でもマジカル少女の方で正解だったようじゃ。よかったよかった」
 
「あんたマジで殺すわよ」
 
「こ、こんなところで弓を出そうとするな! 暴力反対じゃ!」
 
 悲痛な殺意が透華から発せられる。それは、かつてブラドレイジに向けたものに引けをとらないであろう。
 
「知られてしまったからには、もう、もう、私は生きていけないんです! あなたを殺して私も死ぬわ!」
 
「火曜サスペンスか! なんじゃなんじゃ。そんなに私にマジカル少女好きが知られたのが嫌なのか!?」
 
「だって……! だって……!」

◇◇◇

「あはは、なんじゃそんなことか」
 
「『そんなこと』じゃありませんよ……!」
 
 透華は仕方なく、事情のすべてを冬乃に打ち明けた。話を聞いた冬乃は、拍子抜けだったと言わんばかりにケラケラと笑い飛ばしている。
 透華の頬は変わらず真っ赤に染まっている。
 
「なんにも恥ずかしいことありゃせんだろう。透華がなにを好きであろうと誰が笑うものか」
 
「暁さんにはわからないでしょうけど、今の世間一般では高校生にもなってマジカル少女が好きなのは恥ずかしいことなんです!」
 
「うーむ、そういうものなのか……?」
 
「そういうものなんです!」
 
 冬乃は手を自身の顎に添え、首を傾げた。
 今を生きる青春期の乙女は複雑で繊細であった。冬乃にとっては理解が難しい世界である。
 
「と、とにかく、このことはみんなには内密に──」
 
「おや、暁に峰影じゃないか。本でも買いにきたのか?」
 
 峰影が言葉を終える前に、冬乃とは違う、新たな声が割って入ってきた。
 よく通るはっきりとした声。芯の通った人柄をそのまま投影したかのような声色は、聞けば一発で持ち主がわかるものだった。

 声がした方向に透華と冬乃が目を向けると、そこには南N市高校の生徒ならば誰もが知る人物が立っていた。
 一寸の歪みも許さない整えられた襟、完璧に着こなされた南N市高校の制服。長く揃えられた黒髪。深紅に輝く凛々しい双眸。
 冬乃のクラスメイトにして南N市高校の生徒会長、明空一火であった。
 
「おお! 一火ではないか!」
 
「ギャーーーッ! 生徒会長!」
 
 冬乃は無邪気に微笑み、透華は絶望の悲鳴をあげた。
 今、学校の人間に極力接触したくない透華にとって、生徒会長の登場は厄災以外のなにものでもなかった。
 
「わ、私が来ると都合が悪かっただろうか……?」
 
 透華の反応を見た一火は、あからさまにしょんぼりした表情を見せた。
 
「い、いえいえ! そんなことありませんよ! ちょーっと私情で取り乱してしまいまして」
 
「そうなんじゃよ。さっきから透華がぎゃーぎゃーうるさいんじゃ。こやつのう、マジカル少女のことが──
 
「あなたは黙ってなさい……っ!」
 
「むぐっ」
 
 透華は一火に聞こえない程度の小声で叱咤しながら、冬乃の口を慌てて押さえこんだ。
 
「い、一火さんはなんでこんなところに? なにか本でも買いにきたとか?」
 
 そして、汗を流し慌てふためきながらも必死に話題を変えようと会話を切り出した。
 
「いやなに、参考書を買いにきたのだ。3年生は受験もあるからな。勉強もより一層、本腰を入れなければならない」
 
「あ、あはは、さすが生徒会長ですねぇー」
 
 透華は無難な会話でこの場を切り抜けようと必死に立ち回る。その隣で、冬乃がある点においてなにかを心配するような表情を見せている。
 
「な、なあ一火。その参考書は普通の参考書じゃよな?」
 
「……? 他になにがあるというのだ」
 
「なんでも、人間を料理する──
 
「次はその口縫うわよ」
 
「むぎゅ」
 
 般若のような顔で静かに冬乃の口を掴む透華。マジカル少女の件を乗り切ろうと神経をすり減らす現状だけでも手一杯なのに、これ以上この小悪魔に新たな爆弾を持ちこませるわけにはいかなかった。
 
「ど、どうしたのだ……?」
 
「いえいえ、なんでもないですよ」
 
 ふたりの奇妙なやりとりを見て、動揺じみた怪訝な表情になる一火。透華は表情筋をフル稼働し、瞬時に強引な笑顔をつくって会話を再開した。
 
 「でも、なんでこの本屋に? 他にもお洒落な本屋はいっぱいあるのに」
 
「大した理由はないぞ。私の家から一番近い書店がここなのだ。我が校の生徒たちもよく利用しているぞ」
 
「ほえ!?」
 
 この書店、アクセスが優秀であった。
 
「だ、誰も利用してないと思ったのに……!」
 
「おい、お前の算段ボロボロじゃぞ。本当にノイマンか」
 
 隣にいた冬乃が、呆けている透華の体を肘でつっつく。透華はそれに対して「うっさいわね……!」と小声で返す。
 そんなやりとりをしている間に、一火があるものを発見する。
 
「……ん?」
 
 頭を抱える透華の右手に添えられた本が一火の目に留まった。当然、これはマジカル少女ののかのファンブックである。
 
「それは……」
 
「あっ! い、いやっ、あはは!」
 
 一火の視線にいち早く気付いた透華は、即座に本を背中側に回して隠した。
 が、もう時すでに遅しである。生徒会長の目には、ばっちりと本の表紙が映された。その可愛らしい表紙を確認した一火は、穏やかで楽しげな表情を見せた。
 
「ははは。やっぱり峰影は本当にマジカル少女が好きだな。うむ、趣味をもつのは良いことだ」
 
「う、うううっ……バレたぁ……」
 
 寛容な笑みを浮かばせる一火。そして無念にも趣味がバレてしまい、頬を染めて唸る透華。
 
「…………………………………………あれ?」
 
 しかし、その羞恥の表情も数秒ののちに消えさった。というのも、今の一火の言葉の中に、看過できない点があったためである。
 羞恥の顔が真顔に変わり、真顔が引きつった笑みへと変わっていく。
 今の一火の言葉を頭で反芻しながら、ある確認をするため透華は口を開いた。
 
「や、『やっぱり』ってどういう意味ですか……? 私がマジカル少女好きなの、前からご存知で……?」
 
「うむ、知っていたぞ。だいぶ前からな」
 
 一火はさらりと答えてみせた。
 
「ど、ど、ど、どうして」
 
 今日の透華はコロコロと表情が移り変わり忙しい。またしても透華の顔は羞恥の色に染まっていった。
 冬乃のみならず、一火にまで知られていた。これは想定外も想定外である。今まで全力でひた隠しにしてきた秘密が、知らぬ間にこうも漏れている。透華にとって、恐怖と困惑以外のなにものでもなかった。
 
「以前、家電量販店で峰影を見かけてな。玩具ゾーンに陳列されたマジカル少女の玩具をいつまでも楽しそうに眺めていたものだから……好きなのだな、と」
 
「イヤーーーーーッ!」
 
 最高潮まで熱せられた透華の頭部からは、すでに湯気が発生していた。
 
「お前、秘密の漏洩にうるさいくせにセキュリティがガバガバじゃのう……」
 
「うっさいわ!」
 
 隣では冬乃が呆れた目で透華にツッコミを入れ、透華が余裕のない裏返った声で唸る。
 
「しかし凄いのう。その場面に遭遇したのは、おそらくまだ透華と本格的に知り合う前じゃというのに」
 
 そう、驚くべきは一火の記憶力である。
 一火と透華が本格的に知り合ったのは、ほんの数日前のゾンビパニックの日が初めてである。しかし、一火の話を聞いた限りでは、透華を家電量販店で見かけたのはそれよりも前と想定される。
 つまり一火は、あくまで大量に存在する同じ学校の生徒のうちのひとりでしかない「峰影透華」をしっかりと認識した。加えて、そのなにげない日常の一コマを今の今まで鮮明に覚えていたのだ。
 
「うわあああん! なんで覚えてるんですかぁ!」
 
 生徒会長としては素晴らしい限りだが、透華にとってはたまったものではない。透華は本で顔を隠しながら、本で遮られた籠った声で痛烈な叫びを響かせた。
 
「す、すまない。生徒会長たるもの、生徒ひとりひとりを知っておくのは当然の責務で」
 
「本当に凄い人ですね尊敬します……」
 
「そ、それは褒めてくれているのか? あと顔から本を離してくれないか。可愛らしいマジカル少女の表紙に悲痛な叫びが合わさってなんとも言えん画なのだ」
 
 透華は意気消沈。一火はおろおろと慌てふためいている。
 当然、一火には悪意は塵ひとつ存在しない。透華のマジカル少女好きのエピソードを赤裸々に話すのは、これが全く恥ずかしいことではないと一火が本心から思っていることの象徴に他ならない。それどころか、これに対してそもそも「恥ずかしい」という概念すら浮上していないであろう。それゆえに、透華がなにに対して悶えているのかが皆目見当もつかない状態なのだ。
 
「透華はな、マジカル少女が好きなことが周りに知られたくないんだそうじゃ。なんでも、幼児向けのアニメを好きなのは恥ずかしいのじゃと」
 
 見かねた冬乃は、ふたりの間に割って入って事情を説明した。
 
「な、なぜだ? たしかにその作品は幼児を対象としたものだが……それのどこに恥ずかしがる要素があるというのだ」
 
「うううっ……眩しい……っ。この聖人会長めぇ……」
 
 本気で困惑する生徒会長。その悪意の全くない眼差しは、腹黒として名を馳せている透華を圧倒的なまでに白く照らす。まさに自分とは対極の人間。透華はただ感嘆するのみであった。
 
「……峰影」
 
「なんですか……」
 
 いまだに顔を本で覆い隠す透華の肩に、一火はそっと手をのせる。そして、真摯に言葉を続ける。
 
「透華の好きなものに、誰がけちをつけられようか。『好き』とは素晴らしいものだ。尊重すべきものだ」
 
「ううっ……会長……」
 
 清い光に浄化されるかのように、透華は一火の言葉に耳を傾ける。
 
「まずは、マジカル少女が好きな自分を、透華自身が恥ずかしいと揶揄することをやめることだ。なにも恥ずかしいことなどない、堂々とすればいいのだ」
 
「……本当、ですか?」
 
 顔にひっつけた本を少しずらし、透華は本の横から片目を覗かせて一火を見つめる。
 一火はそのか弱い瞳に応えるように、真っ直ぐな視線で見つめ返した。
 
「うむ! 千差万別。蓼食う虫も好き好き! 誰にも馬鹿にさせはしないさ」
 
「その通りじゃ! 『好みは人それぞれ、子供たちの好き嫌いもそれぞれ』じゃ。胸を張るがよい」
 
「一火さんはともかく、暁さんのは誰の言葉よ……」
 
「近所の内藤さんじゃ」
 
「誰よそれ! あんたの近所に住んでる主婦の食卓事情なんてどうでもいいわよ!」
 
 余計な横槍を入れた冬乃に文句を吐き散らかす透華。気の利いた格言の知識がない冬乃は適当な近所の主婦の言葉を引用してみたのだが、どうやら透華には不評だったようだ。
 
「ふふ、でも」
 
 文句を吐くやいなや、透華の表情は穏やかな笑顔へと変わる。
 
「おふたりとも、ありがとうございます。そう言ってもらえて、とっても嬉しいです」
 
 透華は白く長い髪をなびかせながら、冬乃に貰った本を両腕で大事に抱える。
 
「本、ありがとうございます。 大事にしますね!」
 
「うむ! そう言ってもらえて私もプレゼントした甲斐があるというものじゃ」
 
 気付けば空は、橙色から藍色へと移り変ろうとしている。うっすらと佇んでいた月もその姿を輝かしく主張しはじめた。
 本格的な帰宅の時刻だ。学校からここまで歩き、長い間話しこみ……思いの外、時間が過ぎていたようだ。
 
「もうこんな時間ですか。私、そろそろ帰りますね」
 
「ああ、気をつけて帰るんだぞ」
 
「ふふ、一火さん。小学生じゃないんですから。大丈夫ですよ」
 
 一礼をしたのち、透華は一火と冬乃に背中を向けて帰宅を再開した。
 しかし「あ」と小声をもらしたあとすぐに足を止めて、ふたりの方へ振り返る。なにか言い残したいことを思い出したのか、粘りつくような視線で口を開いた。
 
「おふたりには言いくるめられましたが、それとこれとは話が別ですからね! 私がマジカル少女好きなのは、断固、他言無用ですからね!」
 
「はいはい、言わん。言わんから安心せいて」
 
「ははは。峰影は用心深いな」
 
「絶対ですからね!」
 
 最後の念押しを残したあと、透華は、藍色に染まりかけの夕空の下を歩いていった。
 一火と冬乃は、まるで親が手のかかる子を見るような笑顔でその背中を眺めながら見送る。
 
「なかなか可愛いところがあるな。峰影は」
 
「私知っとるぞ。あれはツンデレというやつじゃ。激萌え、激エモじゃ」
 
「なんと! 暁は難しい言葉を知っているな!」
 
「ふふん、いっぱい勉強したのじゃ」
 
 すると、ドドドドド、と遠くから人が駆ける音が聞こえてくる。ふたりの前方にある人型のシルエットが、その音とともに大きくなっていく。
 
「き、こ、え、て、る、わ、よ! 誰がいつあなたにデレたってのよ!」
 
「うわ、帰ってきおった! めんどくさい女じゃのう! 一火、逃げるぞ!」
 
「え、ええ? 私は今から参考書を」
 
「知らん!」
 
「ちょ」
 
 女子高生たちの賑やかな声が、これからさらに輝くであろう月の下に響渡る。
 そこには、不死身もなにもかも関係ない、純粋な女子高生の日常があった。
 鬼気迫る表情で追いかける透華。
 情けない声を上げながら後輩から逃げる冬乃。
 冬乃になされるがままに引っ張り回される一火。

 三人が各々帰宅したのは、すっかり暗くなった、今から一時間後のことであった。